Keith's Diary

日記

結婚の条件

「結婚」って、なんだろう…

と思い、調べてみたところ、

ノースウェスタン大学のイライ・フィンケル氏らが結婚について研究し、辿りついた結果は

「結婚は人間的に成長するため」

とあった。

 

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「婚活」という言葉…

「活動」をして結婚相手を見つける。

それは

「愛し合い幸せな家庭を築くことができるパートナーを見つける」

のか、

「結婚に相応しい条件を満たしている人を探す」

のか…

どっちだろう。

 

少し前のこと、

女性が男性に求める結婚条件が変わって来ている

という記事を読んだ。

三高→三平→四低…  今は「四低」

・低姿勢…威張らない・偉そうな態度を取らない

・低依存…家の事を妻に任せっきりにしない

・低リスク…リストラなどの心配がなく安定した仕事に就いている

・低燃費…趣味にお金をかけない、浪費しない

以上4つ。

 

「四低にあてはまる男は結婚の必要がないのではないか」「男性側にメリットはあるか?」

などという意見も書いてあった。

「メリット」か…

 

三高や四低という、条件を聞くと、

「若さと美貌を兼ね備えた麗しい女性が、その若さと美貌とを、結婚という誓約によって1人の男性だけのものになる事と引き換えるのに必要な契約保証」

的だと、美人が羨ましい私は思ってしまう。

それは、三高にしろ四低にしろ、

なぜか女性側が上から目線な印象を受けるからである。

なので若さも美貌も持ち合わせていない者が、

三高じゃ四低じゃなどと言おうもんなら、

世の男性陣から非難を浴びせられまくる事になりそうだ…

と思うのである。

 

しかしながら、若さや美貌を兼ね備えていなくても、出産を考えると、条件という発想になるのかもしれないとも思う。

女性には、出産ー育児の働けないタイミングがある。

子供を生み育てて行く上で、

その働けない時期を安心して生活していくためには、ある程度の収入が必要になる。

 

それから、子供を生む事を考えたとき、自分には無いDNA的要素を相手に求めるのも同じじゃないか。

これは男女問わずだろうけど…

 

自分は身長が低いから身長が高い人

勉強が苦手だから勉強のできる人

スポーツが苦手だから運動神経の良い人

視力が悪いから視力の良い人

などなどなど…

と、色々と付属するところを無意識的に考えてしまったりするのでは…

 

愛だとか恋だとかに発展するには

条件クリアが必要…ということか…

 

男性側も男性側で、「四低」という結婚条件に対し、

「メリットがないのでは?」と斬り返す辺り、いかがなものか。

メリットを求める…結婚ってそんなものか。

 

だいたいお金を持っている男性の奥様は綺麗な女性が多い。

お金があればそれを目当てに女性も沢山寄って来るだろうし、男性側も選べるとなれば、

「全く同じ条件を満たしている」とした場合、

人間性はさておき、見目麗しい方を選ぶのはもはや致し方ないことと思う。

 

余談だけれど、もしも私が地位や名声やお金を持っている男性だったら、

「どうせ金やろ」と思ってしまうような気がする。

どんなに綺麗な女性が好意を寄せてくれたとしても、

「俺の事を見てる訳ちゃうやろ、俺の持ってる金やろ」

と思うんじゃないかなと。

男でも、モテる訳でもないのに、想像力を働かせ過ぎかもしれないが…

 

お金とか容姿とか能力とか…

条件とかメリットとか…

 

本当に求めているのはそうではないはずなのに。

 

女性も男性も幸せになりたいと思っている。

不幸にならないために色々と条件を上げる。

不幸を回避して幸せな人生を送るには、

三高や四低や容姿や能力などの条件が必要なのかもしれない。

そこを全面的に意識しているわけではないにしても、

どこか無意識の内に頭の片隅にあるものかもしれない。

 

でも、

どれだけ裕福でも

どれだけ容姿が素敵でも

どれだけ能力があっても

どれだけ優しくても

どんなに素晴らしい条件をクリアしていても、

自分がその人自身を愛していなければ、

そして愛されていなければ、

一見幸せに見えるそのパートナーとの生活も、上部だけの幸せで、本当に幸せとは言えないんじゃないか。

 

だからと言って、お金が無くても愛さえあれば良いと、極端な事を言いたい訳ではない。

 

物質的な世の中で生きていると

物質的なものに惑わされやすい。

そこに惑わされる事なく、本当に大切なことはなんなのか、判断できるようにならなければと思う。

 

こんな根本的で簡単な事にたどり着くのにえらく時間がかかった。